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グーテンベルク Johannes Gutenberg 1400?〜68
印刷機の発明者
グーテンベルクは、ご存じのとおり、ヨーロッパで最初に金属鋳造の活字による手組印刷をおこなったとされるドイツの印刷業者で、活版印刷の開拓者です。日本もふくめて、近代の印刷業全体が彼の功績に負っています。
グーテンベルクの発明からわずか50年のあいだに、ヨーロッパ中の約350都市で1000以上の印刷所ができました。その結果、1450年から1500年までの50年間に、約30,000種、推定900万冊の本が発行されたといいます。一人一人の人間が書き写すことによって作られていた書物が、印刷機の発明によって、一挙に・大量に作られるようになりました。
活版印刷発明の影響は、それだけにとどまりません。いわゆる「グーテンベルク聖書」が宗教改革というヨーロッパ世界の一大変動をもたらしました。フランス革命も、20世紀のマスメディアも、その発端はグーテンベルクの印刷機にまでさかのぼると言えるでしょう。
彼がいつ生まれたのかは記録がないのではっきりしません。1394年から1400年ごろのあいだに、ドイツのマインツで生まれたと推測されています。切りよく1400年生まれと考えて、今年(西暦2000年)は生誕600年ということで、各地でさまざまなイベントが催されるそうです。
グーテンベルクの「四十二行聖書」
グーテンベルクが印刷機を製作したのは遅くとも1450年ごろ、マインツでのこと。商人で金融業者でもあるヨハン・フストというドイツ人と提携して彼は、グーテンベルクの印刷機を作りました。フストとの共同事業は必ずしもうまくいきませんでしたが、有名な「グーテンベルク聖書」(「四十二行聖書」ともいう)を印刷したのも、そのころ(1454年の暮れから1450年の初め頃)です。
「四十二行聖書」には、1頁あたり42行、3700文字のラテン語が組み込みまれています。上下2巻で、ページ数は1,280頁。印刷部数は200部弱でした。そのうち、紙刷本が150部、仔牛(こうし)の皮をなめしてつくったヴェラム紙に印刷したものが35部だったといいます。現在の感覚からすると少部数ですが、書物が書き写されていたそれまでの時代の感覚からすると、大量の制作だったに違いありません。完成するまでには3年の歳月が流れていました。
書物としてのグーテンベルク聖書の出来映えは、今でも高い評価を得ています。
1465年にはマインツの大司教アドルフ2世が、グーテンベルクの庇護者となり、その業績がみとめられました。彼が没したのは1468年2月3日ですが、その名はコミュニケーション革命と結びついて、いつまでも語り継がれていくでしょう。
―――2000/5/22.7/24.11/25
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