>お楽しみコーナー>印刷なんぞ>グラディエーター サイトマップ 最終更新日:2005/07/22

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剣闘士とローマ皇帝コンモドゥス――映画「グラディエーター」の背景

 「グラディエーター」で、ラッセル・クロウ演ずるヒーローのマキシマスは架空の人物ですが、敵役のコンモドゥスとその父マルクス・アウレリウスは、ともに実在のローマ皇帝がモデルです。史実とフィクションを交錯させながら展開するストーリーもなかなかおもしろいものです。まずは、この2人から見ていきましょう。

戦争に明け暮れ、陣没した哲人皇帝

 父マルクス・アウレリウスは、『自省録』の著者として有名で、「賢帝」「哲人皇帝」といわれています。しかし、そうした後世のイメージとは裏腹に、在任19年のうち半分以上は戦争に明け暮れる毎日でした。『自省録』もその戦陣のなかで書かれたようです。
 アウレリウス皇帝は、A.D.180年、ドナウ川北方からローマ帝国をうかがうゲルマンの1支族マルコマンニ族との戦いに勝利したのも束の間、陣中で没してしまいます。(映画では、ゲルマンとの戦いの勝利を導いたのがマキシマスということになっています。)

剣闘士になった愚帝

 代わってローマ皇帝の地位についたのが、息子のコンモドゥス(左:塑像)です。このころ、ローマ皇帝の地位は血縁的世襲ではありませんでした。皇帝が若き有力者を自分の養子に迎え、養子を皇帝の地位につけるということが続いており、「賢帝」の時代とも呼ばれていました。ところが、マルクスの後を襲ったのは彼の実子のコモンドゥスでした。そして、以後ローマは「愚帝の時代」続くことになります。
 コンモドゥスは「スタイル抜群、金髪でハンサム」だったそうです(新保良明『ローマ愚帝列伝』講談社)が、皇帝となるやゲルマンとの戦いもそこそこに、ローマにひきあげてしまいます。政治を官僚に任せ、放蕩三昧の生活を送ったといわれ、「残忍」「放蕩」「誇大妄想」、はては「ローマ帝国を崩壊に導いた愚帝」と悪評に事欠きません。さらに、「グラディアトル(剣闘士)になった皇帝」として悪評をはせました。
 182年には皇帝暗殺計画が発覚し、その首謀者は実の姉でした。その後も彼のまわりでは陰謀が渦巻き、結局コモンドゥスは暗殺されてしまいます。

ローマの大スター GLADIATOR

 グラディエーター(GLADIATOR:グラディアトル)とは、古代ローマの闘技場で生死をかけて戦った剣闘士のことです。映画「スパルタカス」や、その着想を提供した古代ローマの史実「剣奴スパルタクスの反乱」ののせいか、剣闘士はみんな奴隷だったという印象がつよくあります。
 実際には軍人や自由人も、グラディアトルのなかには結構いたようです。というのも、試合に勝てば莫大な賞金を手にできるますし、ローマの最大のスターにもなれるのです。
 映画では、マキシマスの勇敢さに感動した観衆が「マキシマス! マキシマス!」という割れんばかりの歓声をあげるシーンが登場します。このように、勝ち続けるグラディアトルは大スターとしてローマ市民から賞賛されたのでした。
 また、敗者は必ず殺されたわけではありません。毅然として勇敢であることが観客によって認められれば、そのグラディアトルは生き残り、何度でも闘技に参加することができました。

技術の粋をつくしたコロッセウム

 闘技場として有名なのはローマの円形闘技場コロッセウムでしょう。紀元80年に完成したこのコロッセウムは、4階建てで高さ48.5m、長径188m、短径156m、周囲527mの楕円形の建築物でした。
 入口が80あり、観客は各入口ごとに決められたチケットをみせて客席をめざします。このやり方で、収容能力は4万5千人、立ち見を含めると5万人に達する観客たちも、きわめて短時間に客席につくことができたといいます。
 コロッセウムの中央には長径86m、短径54mの闘技場(アレーナ)があります。ここでおこなわれた競技としては、剣闘士同士の対戦や戦車競争などがよく知られています。映画「グラディエーター」ではほとんどの試合がこのコロッセウムで行われていますが、戦車競技などの大規模な闘技は、実際はもっと大きな戦車用の競技場で行われました。
 そのほか集団模擬戦や、ゾウ、ライオン、トラなどの見せ物や、これらの動物と人間との対戦、さらには公開処刑なども行われました。現代人にとって残虐とみえるこれらの催しは、古代ローマ人にとっては最大の娯楽だったようです。

 と、まあ、こんなことも知りたくなる映画「グラディエーター」でした(2001.4.2)